2019年9月30日に黒部市民となってから、まるっと一年が経過いたしました。最初の1年をどう過ごすか?!「地域で上手くやっていけるか?」「仕事は?お金は?大丈夫?」「孤独で寂しくならないか?」自問自答で不安で心配で、本音としては、この1年は希望よりも先行きの見えないことによる恐怖がまさっておりました。そんな脱サラ移住1年生を無事に過ごせて、友達は100人はできませんでしたが、新たな繫がりや純度を増した従来の関係性が構築でき、心身ともに落ち着いた暮らしとなってまいりました。安定化してきた中で、立ち止まって考えてみる中で、今後の計画、情報発信の在り方、新たな挑戦などなど、なるべくブログに書き記していこうと考えるにいたりました。ブログの内容は、従来とは違う点がありますが、まだまだ試行錯誤して、自身にとっても、ご覧になった方々にとっても、畑の肥しのように、人によっては「肥料にもなる」が「臭くて気持ち悪い」・・・実にも害にもなるかもしれない、でも良くも悪くも意味のあるものを綴っていこうと思っております。
新型コロナウイルスによる世の中の混乱は全く想定しておらず、移住当初の計画では、今頃はリフォームもそこそこに終えて、昔からの夢であった「サンティアゴ巡礼」に出かけていたはずかも・・・というところでした。巡礼や日本中を一回りなど、時間が必要なことを終えてから、うどん屋の開業をと計画しておりましたが、コロナの影響を鑑みて、冒険の計画も開業の計画も後として、他の体験と思い、黒部にいながらにできる特殊な体験として、黒部峡谷にあるトロッコ電車に携わってしばらく働きつつ、リフォームをのんびりと実施していく方策といたしました
当初の人生計画では45歳での脱サラ移住を計画しておりましたので、まだ3年あるなと・・・と余裕をもって構えております。45歳で脱サラをする計画としていたのは、移住資金をより貯めるため、勤めていた会社の早期退職制度に45歳で該当するため、それらの経済的理由が主でした。残念ながら仕事に未練とやる気はなかったのです・・・(T_T)これって悲しいですよね
その中で、あと数年の我慢と思い、日々過ごしておりましたが、40歳の時の東京への転勤をきっかけに、あれこれと我慢することが厳しい環境
(たとえば・・・社の飲み会にて・・・偉い人が私のことを「ペット」と呼ぶのです。もちろん「ペットのように可愛いやつ」という意味も込めてですが、私はそこで「確かに、俺の評価はお前が握っているが、お前に飼われている覚えはねぇ、うるせーぞ、ハゲ!」と抵抗してしまい・・・サラリーマンならここはグッと我慢だったでしょうか(笑))
に身をおくこととなり、いざ、脱サラ移住について本気で考えることとなります。
そして、東京有楽町にある「移住相談センター」に出かけたことにより、そのスピードが増していきます・・・というか、移住相談センターを訪れた時に、NHKの番組の取材を受け、インタビューをされているうちに自身の思いが明確になっていき、その後、富山県の相談ブースで話をしているうちに、経済的にもなんとかなるか~・・・と考えつきます。2019年7月27日28日の2日間にわたって移住相談センターを訪ねましたが、その時点で、ほぼ、退職と移住を決め、明けて7月29日の月曜日の朝に退職を申し出ました。それからあっという間で本日に至ります。人生は一寸先は何とやらですね(^▽^;)家も仕事も全く決まっていない中での退職決断・・・そんな自分の決断力と楽観的に即決できる気構えは・・・気にいって生きてます。いつか、決断から退職・移住までの流れはブログに記載して記録したいと考えております。家探しツアーのことやかかった費用など、きちんと記したいなと考えております。
話は脱線ですが・・・自主自由の独立の身になって思うことは、転勤のある会社員にとって勤務地や部門の異動は強制力となるんだろうなと改めて考えます。皆さん希望する勤務地や職種、ポジションがあって、それが叶うようにお仕事で努力されると思うのです(努力の量や質や方向性は・・・どうかと思いますが)
実は、この退職を申し出た時に、従順なペットではない私の言動が気にいらないと申す所属部門長の粋な謀らいによって、秋には青森に転勤となることが決まっていたみたいで、突然の退職申し出に関連部門の上長方は少し慌てられたみたいです。・・・
今でも思うのですが、陰湿に密室で青森への転勤を謀るのではなく、明るく「お前!うっとうしいから、青森に転勤!」と事前に言ってくれれば、喜んで3年間は青森に行って楽しめたかともと思うと、少し残念です。そして、私にとって、本社から青森に異動させられることは、全く罰ゲームの体をなしていなかったのです(笑)しかし、気に入らないから青森とか・・・、過疎地や地方に住んでいる人を下に見とんのか!と思うシステムですね(笑)・・・望まぬ転勤や降格を避けたい社員は、低頭平身でますます忠誠を誓うというシステムです(半沢ドラマのシーズン1では、根室への左遷の下りで根室の方々がざわつくということもあったりしましたが・・・勤務地を重要視する人はまだまだいるというのも事実ですね)・・・このコロナ禍でテレワークが普及して、このシステムもいい方向に変わっていけばと思います。
転勤暮らしや地方勤務が苦手という方もいらっしゃいますが、私はこのシステムが好きでした。平均より高い賃金で物価の安い地方で暮らせることや、各地の風土や自然、その恵みの食や酒を堪能できること、そして地元の方々と心通わす交流ができることなど・・・様々なその土地ならではの経験ができることが楽しかったのです。その結果、いろいろな土地柄や風土を経験できたことで、たくさんの移住先候補とプチ移住体験を実感することができました。その中で、人生でずっと続けたい登山が楽しめる環境、美味しい水と酒と日本海の幸が堪能できる環境、などを望んで富山県に移住しました。海の幸とお酒を堪能とならば山陰、食を堪能ということでは四県四様な四国、なども選択肢としては捨てがたかったのですが・・・「北アルプス」に登れる・眺められるが決定的で富山に移住となりました。自分にとって何が大切なのか、明確にすることで移住の場所や意義は見えてくるかもですね(^^♪
というわけで、リフォームの記録を綴っている本ブログですが、最近は山登りの誘惑にかられ、天気が良いフリーな日には、リフォームそっちのけで北アルプスを堪能しております。コロナの影響にて、5月6月は登山を自粛しておりましたので、この夏秋シーズンはいつも以上に、余計に前のめりな登山の日々です。隙を見ては山に登っていますが、平日に深めの北アルプスや長大コースで出会う人は、私同様に山が好きな人が多く、私が北アルプスに近いから富山に脱サラ移住したと話すと、皆さん興味深くお話を聞いてくれます。先日は私より少し年長の方で、その方も移住を考えられているそうで、道中話が盛り上がり、素敵なお友達となれました。またいつか一緒に登る予定となっています(#^^#)
これが堪能したくて移住したわけなので、山を歩いている時は、とても幸せな気分になれます。単純なことですが、「幸せ」だと思える瞬間は、ほんと幸せですね(笑) FacebookやInstagramで、自分の幸せを素直に表現している方々の投稿をみてると、「いいね」と思いますし、自分もなるべく幸せな投稿ができる暮らしを心掛けたいし、それが実現できる努力を怠ってはいけないなと思います。「リア充」という言葉は、人それぞれ良くも悪くもでしょうが・・・「リア充」なのも、また良し、な生き方をしたいですね。
「試練と憧れ」剱岳早月尾根ルートの入り口に立っている石碑です。険しいコースの早月尾根ルートですが、その先には憧れの剱岳が待っています。早月尾根ルート日帰り登山に成功したので記念写真を撮りました。脱サラ移住の人生も、サラリーマン時代には味わえなかった「憧れ」があるとともに、得体のしれない恐怖である「安定がない生活」を克服するという「試練」があると思いました。山登りのように「計画」「準備」「体力」「根性」「判断力」「達成感」などを駆使して、充実した脱サラ人生をなしえたいとおもいます。
さてさて、長い雑文となりました。ここまでお読みいただいてありがとうございます。もう少しで終了です。
富山は秋が深まってきて、紅葉の山登り、アオリイカや紅ズワイガニなどの海の幸、日本酒のひやおろし、新米、栗や梨などの山の幸・・・とにかく、とても幸せな季節がやってきました。おかげで、まだしばらくはリフォームの優先順位が低い生活になりそうです(^▽^;)ただ、12月以降は今のお勤めを春まではお休みとさせていただき、リフォームの再開とちょっとした冒険に出かけようと計画中です。
今回のブログの内容はリフォームとは離れた余談となりました。リフォームの記事を期待していた方には申し訳ないなと思いつつ、自身で管理しているサイトと記事は私の分身でもあるので、思うことは書き留めておくのもまた一理かなと考えました。また、リフォームが進んだ際には記事にて報告もしつつ、移住して手に入れた気ままな暮らしから「らしさ」を表現することで、脱サラや移住を考えている人にとって参考となる記事、もしくは移住や脱サラはできないけど、私のブログを通して「こんなもんか」と移住の実際を体感してもらって「脱サラせんでもよかった」と参考になる記事をアップできればと思います。というわけで・・・しばらくはリフォームのみならず、定期的に徒然なるままに「脱サラ」「移住」に関することを記事にさせてくださいね(^^;